マクドナルドが創業以来の大赤字から見事にV字回復したように、大企業であってもトップ次第で会社の明暗を分けてしまします。まして起業したてやまだまだ実績にも乏しい中小企業などのスモールビジネスでは、社長次第で会社を潰すことにもなりかねません。まさに「会社の明暗は100%社長で決まる」と言えます。もし、何かがうまくいっていないのなら、どんなことであれ、それを良くするも、さらに悪くするのも社長次第ということです。
主な内容
責任とは?
覚悟はありますか?
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■責任とは?
社長が責任を取るのは当たり前、誰でも起業した人はそう思っているに違いありません。
しかし、これを実践するのはそう容易くありません。表向きや社員の前ではそう自らを律していても、ふとした瞬間に気の緩みが出て、自分に戒めていたこととは反対の言動を取ることもあります。その言葉や行動で信用が失墜することもあります。また、自分では責任を取っていると思っていても、その取り方が不十分であったり、誤っていることもあり得ます。
責任を取ると言うのは簡単ですが、なかなか潔くそうできるかどうかは、そうそう簡単なことではありません。しかし、少なくとも、その気持ちを持つことは大切です。
あるベンチャーのトップが社員には社長の気持ちがわからない、と嘆いていました。また、とある会社のトップは、幼少時代の貧乏から苦労と努力を重ね、やっとの思いで若くして会社を設立し、死に物狂いで会社を大きくしてきましたが、自分と同じような頑張りを社員やアルバイトにまでに期待するため、その労働環境は過酷なものになり、いつしかブラック企業のレッテルを貼られるようになりました。
どちらもトップとしての責任を果たしていません。創業社長は身銭を叩いて、時には私財も叩き、あるいは私財を担保に入れて借金してまで、事業を行うとします。自分どころか、まさに家族の生活や命まで賭けています。ですから、創業前も、創業後も、寝る間を惜しんで仕事に没頭します。どこかで、「これでは体がもたん」と思っていても、止めるわけにはいきません。それでも、まだまだ経営の素人で、その資質も開花していなければ、なかなか結果はついてきません。全ての創業社長がみなそうではなくても、こんな時期を過ごす経営者はざらにいます。
しかし、それも全て自分の責任です。その苦労を従業員に負わせることはできませんし、そんな苦労を従業員が理解することもおそらくないでしょう。まして、起業していない従業員が社長と同じ責任を取ることなどあり得ません。求める働きや結果がないのなら、それも含めて、全て社長の責任です。その結果について、どういう決断をし、行動を取るかも社長の責任です。
■覚悟はありますか?
ソフトバンクの孫氏の責任の取り方は見事と言えます。
孫氏に関するさまざまな書籍を読むと、如何に多くの「無謀」に果敢に挑戦し、数々の失敗も多く経験していたのかが分かります。また、ここぞというときには、組んでいる相手の反対も押し切り、進もうとします。そのどちらの場合でも、孫氏はしっかりと責任を取っていました。
孫氏が何かにチャレンジし、結果、失敗を認め撤退する時は、関わった相手が損をしないよう、経済的負担もしっかりと取っています。組んでいる相手の反対を押し切って前に進むときも、本来、法的には支払う必要のないものまでしっかりと支払い、相手に仁義を切ります。20代の若い頃から、そうして事業に向かい合っていました。手元にお金がなくても、どうにかかき集めてまでも、責任を果たし、仁義を切っていました。相当の覚悟がなければできません。そこまで見事に鮮やかに責任を取ってきたからこそ、1981年に名乗りを上げたソフトバンク(旧日本ソフトバンク)を、たった1代で、それもわずか30年にも満たない短期間で、あそこまで大きな事業にできたのでしょう。
自動車事故で誰かの車にぶつけて、「申し訳ございません!」だけでは、あまりにも調子が良すぎます。謝罪は当然のこと、相手の車の修理代やその他諸経費、治療費も含めて支払い、責任を取ったと言えます。
起業して何かが上手くいかないと、直ぐに誰かや何かに、その矛先を向けたくなるのは理解できないわけではありません。「あの会社は期待通り成果をあげていない」、「あのツールが思ったように動いていない」、「あのサービスが悪い」、「従業員が指示した通りに動かない」、「営業がしっかりと売らない」・・・いろいろな原因や問題が考えられますが、全ては社長の責任です。最終的には、経済的負担を含め、全て自分にかかってきます。ですから、社長業とは、命を賭けるくらいの覚悟がないと、務まらない仕事とも言えます。
責任が取れない社長は必ず会社を潰します。
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